ロシアとウクライナ問題をわかりやすく解説!戦争が起った原因もわかる!

Pocket

ロシアとウクライナ問題をわかりやすく解説!戦争が起った原因もわかる!というテーマでお届けします。

ロシアとウクライナの戦争が始まり、連日報道されています。

しかし、なぜ戦争になったかということについてよくわからないという人も多いのではないでしょうか?

この記事ではロシアとウクライナ問題がどういうものか?戦争が起った原因についてわかりやすく解説していきます。

 

Contents

ロシアとウクライナ問題は同じルーツを持つ国同士の兄弟喧嘩!

今から30年前にソビエト連邦崩壊という歴史的な事件が起りました。

当時のソビエト連邦(ソ連)とは15の共和国が集まった国家でロシアもウクライナもその国の1つでした。

ソ連崩壊後に15の国は、新たな国家としてそれぞれの国が独立しました。

そして、これらの国では新しい国旗や国歌が制定されています。

ソ連崩壊から30年が立ちますが、ロシアはウクライナに対して今でも同じ国だったという意識があり、特にウクライナに対しては、特別な意識があると言われています。

 

ロシアから見たウクライナとは?

ロシアとウクライナの関係性を語る上で歴史をさかのぼります。

8世紀末~13世紀にわたり、現在のウクライナとロシアなどにまたがる地域にキエフ公国(キエフ・ルーシ)と呼ばれる国家があり、その中心的な都市が現在のウクライナの首都キエフでした。

このような歴史的背景から同じソ連を構成した国の中でも、特にロシアはウクライナに対して同じルーツを持つ国という意識を強く持っています。

プーチン大統領はソ連の時代からウクライナを「兄弟国家」と呼び強い愛着があります。

このことはプーチン大統領が2021年7月に発表した論文内でロシアとウクライナ人は同じ民族だと述べていることからもわかります。

プーチン大統領は未だにソ連時代の意識から脱却できていないとも言えます。

 

ウクライナから見たロシアとは?

その一方でウクライナにはロシアのような兄弟意識がなくなっているようです。

ソ連が崩壊してからの30年という歳月で、当初は確立されていなかった、ウクライナ国民という意識が徐々に芽生え作りあげられたからです。

この背景には、ウクライナから見た少し複雑な事情があります。

ロシアと隣接するウクライナ東部はロシア語を話す住民が多く暮らしていて、ロシアとは歴史的なつながりが深い地域です。

しかし、ウクライナ西部はかつてのオーストリア・ハンガリー帝国に帰属しており、宗教もカトリックの影響が強く残っており、ロシアからの独立志向が強い地域と言われています。

現在は同じ国とはいうものの、まるで東西では別の国と言える状況です。

 

ロシアがウクライナにとってきた行動とは?

「同じルーツを持つ国」と位置づけるウクライナに対し、プーチン政権はこれまでも東部のロシア系住民を通じて、その影響力を及ぼそうとしてきました。

例えば2004年のウクライナの大統領選挙においても、プーチン大統領が2度も現地に乗り込み、東部を支持基盤にしたロシア寄りの政策を掲げた候補を応援するという偏った行動を取っています。

また、親ロシア政権が倒れた2014年には、ロシア人が多数を占めるクリミア半島にロシア軍の武装部隊を派遣し空港や軍事拠点などを掌握しました。

クリミア自治共和国の議会は住民投票で賛成が9割超だったとして一方的にウクライナからの独立を宣言しロシアはすぐにクリミアを併合。

国連総会は住民投票に正当性はなく併合は無効だとする決議を採択しました。

米国、EU、日本はロシアに対する制裁を実施しましたが、ロシアは今も実効支配を続けています。

このことがきっかけとなり、ウクライナ国民の反ロシア感情が高まり2014年からは親欧米政権が続いています。

 

戦争が起こったきっかけはNATOの東方拡大!

NATOとは北大西洋条約機構のことで、東西冷戦時代にソ連に対抗するためにアメリカなどがつくった軍事同盟のことです。

ソ連が崩壊すると、NATOがもともと共産主義圏だった国々に民主主義を拡大する政治的な役割も担うようになりました。

当時、東欧諸国の多くが、経済的に豊かな民主主義陣営に入ることを望み、その入り口だったNATOへの加盟を希望する国が増えました。

1999年にポーランド・チェコ・ハンガリーが正式に加盟し、2004年にはバルト3国なども加盟しました。

また、ウクライナやモルドバ、ジョージアでも欧米寄りの政権が誕生し、NATOに接近する姿勢を示しています。

この流れをNATOの東方拡大と呼びます。

 

ロシアから見たNATOの東方拡大は?

ロシアはこれまで西側から陸上を通って攻め込まれてきた歴史がり、安全保障の観点から、東欧諸国を緩衝地帯だと考える意識が強くあります。

そのためにNATOの東方拡大には強い抵抗感があり、東欧諸国がNATOに加盟したり、東欧諸国に軍事施設を設けることを嫌がるです。

一方で、ソ連崩壊後は、ロシアは感情的に好ましいとは思ってはいなかったものの、こういったことに明確な否定や反対を表明していませんでした。

そして、2006年に旧ソビエト時代の債務を完済。

翌年の2007年にドイツのミュンヘンでプーチン大統領が演説で、NATOの東方拡大について初めて公の場で批判しました。
これを機に、その後のジョージアやウクライナのNATO加盟の動きについても強くけん制するようになりました。

プーチン大統領は、最近でもNATOの東方拡大について「約束違反だ」と厳しく批判をしています。

 

プーチン大統領の言う約束違反とは?

プーチン大統領が言う「約束」とは、1990年代に、当時のアメリカの国務長官とソ連のゴルバチョフ書記長との間で交わされたとされる「口約束」のことだと思われます。

プーチン大統領によると、1990年に東西ドイツが統一する際に東ドイツに駐留していたおよそ10万人のソ連軍を撤退させるために、アメリカのベーカー国務長官がゴルバチョフ書記長にNATOを東に拡大しないという趣旨の約束をしたと主張しています。

しかしこの主張を裏付ける文書は残っていないことから口約束と見られ、本当にそのようなやりとりがあったのかどうかについては諸説があります。

今回の軍事侵攻の背景には、プーチン大統領がNATOへの加盟を希望するウクライナの政権をアメリカのあやつり人形と捉えていることと、NATOのこれ以上の東方拡大を容認できないという安全保障観が影響しているものと思われます。

 

ロシアとウクライナ問題をわかりやすく解説!まとめ

ロシアとウクライナ問題をわかりやすく解説!戦争が起った原因もわかる!というテーマでお届けしました。

ロシアとウクライナ問題はいろいろと複雑な歴史的な背景や現在においても複雑な要素が多く、わかりやすく解説と言いながらも難しい問題でした。

戦争が起こった原因は、ロシアの一方的な思い込みで世界中から非難されるのも仕方ありません。

どうか一日も早く終わることと被害者がこれ以上増えないことを祈りたいと思います。